「余の辞書に不可能の文字はない」という格言は、ナポレオンの名言として有名です。フランス語では、「Impossible
n’est pas français(不可能という単語はフランス語ではない)」なので、オリジナルと日本語とでは、ニュアンスが異なります。
なぜナポレオンが「不可能はあり得ない」と言ったのでしょうか。
ナポレオンは、1808年、弟のジョゼフをスペイン王の座に就かせるため、軍を率いてマドリッドに向かっていました。北からマドリッドに入るには、グアダラマ山脈(Sierra
de Guadarrama)にあるソモシエーラ(Somosierra)を通らなくてはなりませんでした。峠には厚い霧が立ち込め、ナポレオン軍の歩兵は、スペインの砲中隊と狙撃兵に行く手を阻まれました。ナポレオンは、強行突破するために、帝国衛兵隊の軽騎兵を送りこむよう指示を出しました。ところが、中尉は、「不可能です」と答えました。それを聞いたナポレオンは、「何だって?不可能?そんな言葉は聞いたことがない!わが帝国衛兵隊に不可能などあり得ない!」と怒りを爆発させました。こうして、ソモシエーラノの町は、ナポレオン軍の手に落ちたのです。
この言葉は、兵士の間で好んで使われるようになり、次第に宮廷でも大流行しました。
ロシアのアレクサンドル1世がフランスからの亡命者を追放しようとした時、フランスの警察大臣(Ministre
de la Poloce)のフーシェ(Fouché)は、アレクサンドル1世を説得するのは「不可能」だと判断しました。ところがナポレオンは、ソモシエーラの時と同じことを言ったのです。フーシェは、「閣下が『不可能という言葉はフランス語ではない』と教えて下さったことを思い出すべきでした」と答えました。
また、1813年7月9日、マクデブルク(Magdebourg)市の司令官ルマロワ(Lemarois)は書簡で、包囲から町を守ることが不可能だと伝えると、ナポレオンは、「不可能だと書かれているが、不可能という言葉はフランス語ではない」、と返事を送りました。
ナポレオンは、無力さを認めてしまうことを嫌いました。ナポレオンは、コート・ドール(Côte-d’Or)県知事のマチュー・モレ(Mathieu Molé)に、無力さを認めてしまうことは、「le fantôme
des humbles et le refuge des poltrons(愚民の妄想で臆病者の逃げ場でしかない」」と述べたのです。
参考文献:
« Les Citations
célèbres de César à Mitterrand, ce qu’ils ont vraiment dit », Historia, Spécial, n°9, janvier-février
2013, pp.46-47.