ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は1883年8月19日、ロワール地方のソミュールで生まれました。
18歳の時に、「強制結婚」から逃れるためにムーランのノートルダム教会(Chapelle Notre-Dame de Moulins)に入り、修道女(dame chanoinesse)として「お針子の見習い(cousette)をしていましたが、もっと素晴らしい将来があるに違いないと、ムーランのカフェ・コンサート(café-concert)で歌を歌っていました。24歳の時には、騎兵隊の兵士の前で「ココ(Coco)」という名で舞台に出ていました。というのも、いつも「Qui qu'a vu Coco dans l'Trocadéro ?(ここがトロカデロであったのは誰?)」という歌を歌っていたからです。こうして、ガブリエル・シャネルは「ココ・シャネル」になりました。
ココ・シャネルが世間に衝撃を与えたのは、1910年、彼女が27歳の時でした。彼女はまずセーラー服に注目しました。セーラー服とは水夫の作業着で、エレガンスとは全く対極にある服です。ココ・シャネルはシルクのジャージー生地に横縞のプリーツを入れて、女性らしいシルエットのドレスにアレンジしたのです。
次の衝撃は、「黒服」を発表したことです。1920年頃までは、戦争未亡人は皆黒い喪服を着ている時代でした。ココ・シャネルは1926年10月に発売されたヴォーグ(Vogue)誌で、「小さな黒のドレス(La petite robe noire : Little Black Dress (LBD))」として、ひざ丈のシンプルではあってもエレガントでシックなドレスを公開しました。当時デザイナー王と呼ばれたポール・ポワレ(Paul Poiret)氏は、「豪華な清貧(la pauvreté du luxe)」と表現し賞賛しました。
シャネルで有名なのは、襟なしの襟、袖、前立てにブレード縁飾りのついているスーツです。ココ・シャネルは第二世界大戦後姿を潜めていましたが、1953年にカンボン通り(rue Cambon)のブティックを再オープンしました。翌年発表したのがツイードのスーツです。当時、スーツはまだ男性が着る服でした。シャネルのスーツは着心地が良く、動きやすかったので、すぐにアメリカで評判になりました(アメリカのケネディー大統領が暗殺された時にジャックリーン・ケネディー(Jacqueline Kennedy)がピンク色のシャネルのスーツを着ていたことは有名です)。その後すぐにフランスでも人気になりました。
No.5の香水は、もはや世界で最も有名な香水ですが、香水を出すのは彼女の夢でした。調香師のエルネスト・ボー(Ernest Beaux)によりジャスミン(jasmin)、バラ(rose)、イランイラン(Ylang-ylang)など80種類のエッセンスを調合した香水が、No.5として1921年に発売されました。5番とつけられた理由は、「エルネスト・ボーが提示した5番目の芳香で、1年の5番目の月である5月5日に発売された(la cinquième fragrance présentée par Ernest Beaux et la lança le 5 mai, cinquième mois de l’années)」からなのです。また、「5という数字は彼女に幸運をもたらすことになる(ce numéro 5 lui portera chance)」からとだと言われています。
1923年には靴とバッグも発売されました。靴はベージュと黒の2色のコンビで、ベージュは脚の線を美しく長く、黒は足を細く見せるように計算されているのだそうです。シャネルのドレスやスーツは地味な色が多く、形もシンプルなのが多いですが、アクセサリーだけは例外で、派手で豪華で、大胆にいくつも重なっているのが特徴です。
パリ市モード博物館は、シャネルの資金援助により、2018年7月15日から改装工事を開始し、地下展示室や書籍・記念品販売所などが増設されました。「ガブリエル・シャネル」ギャラリーは従来の2倍の展示面積となり、2020年10月1日に再オープンしました。それを記念して、「ガブリエル・シャネル、モードの記録(Gabrielle Chanel, Manifeste de mode)」展が2021年3月14日まで開催されています。
参考資料: « Chanel : La preuve par 5 », La Croix, l’Hébdo, 10 octobre 2020, pages 44-45.