パリの中心、レ・アール(Les Halles)地区に革命直後まで「cimetière des Innocents(無実の人々の墓)」と呼ばれる墓地がありました。現在はジョアシム・ドュ・ベレー広場(Place Joachim du Bellay)に「無実の人々の泉(Fontaine des Innocents)」があるのみで、当時の面影は何も残っていません。

中世は幼児の死亡率が高く、平均寿命が25歳くらいだったこともあり、死はタブーではありませんでした。墓地には蚤の市や簡易劇場が開かれ、夜になると恋人同士が集まりました。しかし、墓地内での犯罪は取り締まることができなかったので、スリ、強盗、売春婦などの犯罪の温床地にもなっていました。

この墓地には、「La recluse(隔離部屋)」と呼ばれる小さな小屋が2つありました。広さはどうにか横たわることができるほどで、1m2しかありませんでした。一旦この中に入ると、シムまで出られず、結果個の場所が自分の墓場になりました。主に売春婦や聖職者と内縁関係を持っていた女性が、懺悔(pénitence)や信仰(dévotion)により自主的に中に入りました。中に入ると、小さな隙間を残してどんどん建物が塞がれました。隙間の一方は礼拝に参加できるよう教会に向かい合っていて、もう一方の隙間は広場の方を向いていました。中に閉じ込められた女性の使命は人々のために「祈る」ことでした。人々は、祈りで住民を保護してもらっていることのお返しに、飲み物と食べ物を恵んでもらっていました。

隔離部屋の女性の中で最も有名なのは、アリックス・ラ・ブルゴット(Alix la Bourgotte)で、1466年に亡くなるまでの46年間を小屋の中で過ごしたそうです。

この隔離小屋で余生を過ごす儀式は、16世紀に廃止されました。

 

 

参考文献Le Paris du Moyen-Âge, Laissez-vous guider, France 2, https://www.france.tv/france-2/laissez-vous-guider/2154973-le-paris-du-moyen-age.html

Les recluses du cimetière des Innocents, Sous les pavés, https://www.sous-les-paves.com/recluses-cimetiere-innocents/